[小学館 (Domani) 様 の特別のご厚意により掲載いたします。]

button女の厄年・厄よけ・厄払い

32歳を過ぎても厄年進行形のあなたに贈る

数え年33歳は、女の厄年。
32歳を向かえる人、厄年でもないのに、「悪いことが続くな」というあなた、ズバリ「厄年進行形」です。そこで、今回のライフスタイル提案では、厄と厄払いを徹底追求。
厄の由来、正しい厄払いの仕方を紹介します。

有名人厄年事件ファイル

松田聖子 当時32歳・本厄 ジェフスキャンダル勃発
ダイアナ妃 当時32歳・本厄 離婚・不倫告発で窮地
林葉直子 当時31歳・前厄 中原名人との不倫発覚
安部定 当時31歳・前厄 安部定事件で逮捕

buttonやっぱり厄年ってあるのね !30代女性の厄年実感レポート

そういえばダイアナ妃も厄年だった !

 古くは安部定から、記憶に新しいところでは、ダイアナ妃まで。今まで気づかなかったけれど、「週刊誌やスポーツ新聞」を飾る女性って、やけに32歳周辺が多くない?」。そんな疑問から Domani では今回、厄年をすでに経験した32歳以上の女性100人を対象に、緊急アンケートを実施。 「厄年のときに何か悪いことが起りましたか?」という質問をしました。
 その後、全国各地から戻ってきた回答には、まさに編集部一同驚愕。「厄年の起った笑えない怖〜話」が続々と寄せられてました。

子宮筋腫に骨折 ああっ ! まさに厄年

 アンケート結果によると、厄年に降りかかった災難で、圧倒的に多いのが、病気やけが。
「31歳の前厄のとき、たまたま受けた健康診断で、発覚。検査を受けたところ、良性だとわかって、ほっとした直後に、階段から転げ落ちて骨折。合計、2ヶ月以上入院してしまった」(36歳/長崎県/電気会社勤務)
「19歳のときに胸椎圧迫骨折で入院1ヶ月。ちょうど、試験のときだったので留年してしまった。次に大きなけがをしたのが、32歳のとき。信号待ちをしていたら、目の前の自転車がつっこんできた。打ち所が悪く、腕の骨を折った。人生の節目節目に骨を折っているが、考えると2回とも厄年だった」(34歳/北海道/広告代理店勤務)
 そのほか、乳ガンや子宮ガンが発覚したという声もあり、32歳という年齢が、女性の体のとって、ひとつの節目であることは間違いなさそうです。

夫の浮気のリストラも厄年とともにやってくる !

 厄年の恐ろしさは、肉体面だけにとどまりません。離婚、不倫など、気をつけたくても、気をつけられないエピソードがいっぱいです。
「前厄の年に結婚したのがけちのつきはじめ。幸せいっぱいの新婚生活を送るはずが、わずか1年後に夫の浮気が発覚。厄払いだと思って即行で離婚した。」(39歳/岐阜県/化粧品販売)
 「某証券会社の解散を受け、大幅な人員整理が。入社10年以上の女性契約社員は全員くびを切られた。今年厄年の私は、ちょうど入社10年、とほほ」(32歳/東京都/元証券会社勤務)

彼の災難も私の責任、だって私は厄年だから

 厄年に災難が起るのは、自分だけとは限りません。
「私が厄年のとき、両親がそろって入院。さらに、入院中に空き巣に入られた」(38歳/神奈川県/飲食店経営)
「車好きの彼が、こつこつ貯金してようやく買った新車のプジョーは、納車3日後の事故で全損。それってやっぱり私が厄年だったからなのかしら」(34歳/岡山県/建設会社勤務)
 病気、離婚、果ては他人の災難まで、厄年はまさに災難のデパート。それでもあなたは「厄年なんて迷信だから」と笑い飛ばせますか。

button厄だ、厄年だと騒ぐけれど、厄っていったいなんなんだろう?

女性の場合、30代の半分以上が厄年にあたる

 厄年というのは、いったいいつごろ、どのようにしてできたのか。神社などでその年の厄年表をみると、女性は数えで19歳、33歳、37歳、男性は25歳、42歳、61歳が厄年とある。
 ということは女性の場合、前厄と後厄を数に入れると、30代のうちの半分以上が厄年と関係していることに!これではたまったものではない。本当にこの年齢には根拠があるのだろうか。

厄年は長い間の体験に基づいた生活の知恵

 厄年のルーツを探ってみると、その起源は中国の陰陽道にあることがわかった。陰陽道というのは「大辞泉」をみると天文・暦数・卜筮(ぼくぜい)などの知識を用いて吉凶・禍福を占う方術とある。
 これを平安時代に広めたのが伝説の陰陽師、安倍晴明(あべのせいめい)。やがて陰陽道をもとに日時や方位の吉凶が定められるようになり、それと同時に災いを招きやすい年である厄年ができた。
 源氏物語で藤壷が37歳の歳に厄にあたり心労するさまが述べられているほか、平安時代に書かれた日本最古の続き物語である「宇津保物語(空穂物語と書くこともある)にも「左大臣どののやく年におはするとて...」と、すでに厄年についての話が登場する。
 ただし現在の「女の厄年は19歳、33歳、37歳」というのが定着したのは江戸時代になってから。 当時の百科事典である「和漢三才図会」には、7歳から始まって9を加えた年が厄年と書かれた後に、「いまは俗に男25、42、61、女19、33、37、男は42をもって女は33をもって大厄となす。其のよってくる所を知らず、男42の前年を前厄、翌年を挑厄(はねやく)といい、前後3年を忌む」というただし書が。
 また、よく33歳は”さんざん”に、42歳は”死に”に通じるといわれるがこれは単なる語呂合わせにすぎない。
 国学院大学教授の三橋 健氏は「厄年というのは、人生の節目のあたる年。その年は肉体的にも精神的にも変り目の年だから気をつけなければいけませんよ。という警告であって、いわば長い間に培われてきた生活文化なんです。だから決して迷信ではないし、逆にこれほど確なものはない。」と語る。
 確かに女性の32歳前後は乳ガンと子宮ガンの発生率が高くなってくる年齢。気をつける、にこしたことではないか。

現代はいわば第三次厄払いブーム

 迷信といわれればそれまでだが、仏滅の日に結婚するのを避けるのと同じように、厄払いもやらないよりはやったほうがよいに違いない。神社やお寺の行ってお祓いをしてもらうのが一般的だが、大勢の人を家に招いてご馳走をしたり、節分の日の夜に豆の包みを四つ辻に落したり、厄年の時に生まれた子供を形式的に捨てたりと、さまざまな方法が。そしてもちろん厄払いにも厄と同じだけの長い歴史がある。
 「平安時代は貴族たちの間で毎年のように厄払いが行われていたんです。その後、江戸時代に入って厄の風習が民間に定着すると、神社やお寺で厄払いをするのが流行りになり、人間の一生が安定してきた現代では、一世一代の仕事と対応するときの成人儀礼の一種として流行しています」(国際日本文化研究センター教授、小松和彦氏)
 つまり平安時代が第一次厄払いブームだとすれば、江戸時代は第二次厄払いブーム。そしてまさに今、現代にあっては第三次厄払いブームを迎ている真っ最中なのだ。

◎ 厄払いに関する素朴な疑問

厄払いの祈祷料ってかなりの値段の幅がありますが、それはどうしてですか?

 祈祷料が少ないと厄除けの効果も薄いのでは...とつい考えがちだが、その心配は全くない。祈祷の回数が違ったり、お札が多少立派になったりするが、効き目自体は変わらない。要は気持の問題と懐具合いの兼ね合いの問題。

厄払いのとき登場する護摩っていったい何?どうして焚かなければいけないの?

 護摩は「供物を火に投げ入れて祈願する」という意味のサンスクリット語「ホーマ」の音字。バラモン教では火炎が天に達すると神々が地上に降臨するとされ、密教においては、知恵の火で煩悩の薪を焼き尽くすという意味がある。

厄年の年齢はどうして満年齢ではなく数え年なんですか?

 そもそも日本で数え年が満年齢に改められたのは、戦後の昭和25年1月1日から。つまり平安時代からの厄年の文献はすべて数え年が基準になっているため、現在でもそれを踏襲しているのがその理由。

厄払いをしたいけれど数ある神社やお寺の中から、どうやって決めればいい?

 厄除けで有名なお寺や神社はやはり専門のノウハウをもっているので間違いない選択といえる。 そうでなければ自分の生まれた土地にある神社、つまりその土地の産土神(うぶすながみ)にお参りするのもよいとされる。

◎ 統計にみる厄年の秘密

 平成7年度の国勢調査のよると、女性の離婚率が最も高いのが厄年にあたる31〜33歳。この年齢の離婚率は全年齢の平均離婚率に比べ、およそ2割増しとなっている。
 また、男性の厄年である41歳付近では、大腸ガン、喉頭ガンの発生率が非常に高くなっている。 偶然の一致と見逃せるものではない。

buttonこんな国にも厄年があった!

イギリス

イギリス 地方によって諸説さまざまだが、一般的には男性は4のつく年、女性は7のつく年がよくない年とされる。厄を払う方法としては、木の実を厄年の数だけ集め、それを3日3晩外気にさらしたあと、近所の庭先で焼くだけ。だだし、ひとりでも多くの人が見に来てくれたほうが効果が高い。

スペイン

スペイン 日本と非常によく似ていて、女性は14歳と34歳、男性は24歳と44歳が厄年にあたる。厄落としの方法はユニークで、男女とも厄年になると馬の肉片を自分の年齢の数だけ親戚や友人の見守る中で食べる。 そしてそのあとは一昼夜もの長い間、歌い踊り明かすとか。お国柄を反映していて興味深い。

エジプト

エジプト 宗教や地域によって違いはあるものの、よく知られているのに男女とも4歳から4年ごとに厄年がやってきて50代まで続くというもの。厄を払うためには、隣近所の老人を訪ねて布地を継ぎ足して身につけるものをつくる。この衣装が厄落としになると考えられている。

トルコ

トルコ 宗教によって厄年も違ってくるが、最も一般的なのは、女性13歳、33歳、53歳、男性は23歳、43歳、63歳とされる。厄落としは、親戚や友人が集まって等身大の泥人形をつくり、原色の衣装を着せたあとに水に流すという方法。水に流しに行くとき、本人は必ず家にいなければいけない。

buttonとことん正統!「厄払いの総合病院 - 佐野厄除け大師」で厄払い体験

厄除け祈願料は最低3千円から5万円まで

 関東の三大厄除け大師のひとつ佐野厄除け大師を訪ねた。
ご祈祷してもらうためにはまず最初に、お護摩申込用紙(密教系寺院の場合、これが厄払いの申込書にあたる)に住所、氏名などを記入する。
 次に、気になる厄除けの祈願料だが...。その違いはというと、3千円だと1回きり、5千円だと毎月、1万円だと毎日お祈りしてもらえるということになっている。
3万円と5万円は特別祈願とある。副住職の旭岡晴人(あさひおかやすひと)さんには「効き目は同じです」といわれたが、思いきって5万円のコースに。
さすがにお札も立派で、ほかのお札よりもふたまわりくらい大きいし、金色の羽織がかけられ、小さな熊手もついている。 しかも特別祈願の場合、本堂の奥、護摩壇のすぐそばに座って厄払いしてもらえるという。なんだかすごく効きそうではないか。

護摩木だけではなくお米や菓子まで火の中に

 まずは靴をぬいで本堂に上がり、護摩壇のそばに正座。太鼓の音が鳴り響くのと同時に、儀式が始まる。神聖な気持でそのまま待つこと1分。すると袈裟を着た旭岡副住職がやってきて護摩壇の前に座り、般若心経を唱えはじめる。
 このときに祈祷を受ける側は願い事を心の中で唱えるのだか、「いつ、どこで、だれが、何をして、どうなってほしいか」など、こと細かくお願いして、それを良く覚えておくことが大切。そして願い事はいくつあってもかまわないけれど、願いがかなった際は、必ず神様にお礼をいうこと。
それが終わると今度はお不動様の徳をたたえる「真言」を唱えながら、長さ30cmほどの護摩木をお米やお酒、大豆や樒(しきみ)の枝などとともに火の中に放り込む。
間近で見ているせいもあるが、燃え盛る炎の迫力は想像以上。
「火で燃やすのは、供物が一瞬にして姿を変え、天に昇るため」(旭岡副住職)だそうである。
途中あまりの暑さに頭がフラフラとしてくるが、30分ほど経ったころに別の僧侶の方に耳打ちされ、護摩の煙を頭や首筋、腰などにつけるために立ち上がる。これは自分の体もお札と一緒に護摩の火と煙にさらし、厄を払ってしまうため。そして不動明王の前に行き、合掌して一礼すれば終了。 この間約45分。おみやげにお札、お守り、手拭いなどをもらって、本堂の外に。

 ちなみに家に着いたらお札は東か南向きの少し高いところに祀り(仏壇に祀ってはいけない)水・酒・おもちを供える。水は生命の源であり、お酒は100種のお供え物、もちは50種のお供えと同じ効果がある。
そして神様はきれい好きなので、お札とお札のある場所は常に清潔に保つこと。
こうして1年過ぎたお札は、また大師様に納めにいけば供養(焼却)してもらえる。

◎ 厄年の意識調査

あなたは厄年の厄払いをしましたか?

grph1  なんと、7割以上に人が、厄払いを経験。ただ、多くの人が、「厄年と真剣に信じていたわけではないが、とりあえずいやなことが起ると困るので保険までに」という答え。
 逆に、厄払いをしなかった人の答えを見ると「厄年が何歳かもしらない」「お寺の金儲けに荷担したくない」と強気。

厄年のとき何か悪いことが起りましたか?

grph2  半数以上が、厄年のときに災難が降りかかったと自覚。災難の種類は、胆炎、免停、初めて胃カメラを飲んだ、4年交際した男に裏切られた、とありとあらゆる分野にわたっている。
 偶然かも知れないが「YES」と答えた人の7割以上が、厄払いをしなかった人で占められるという恐ろしい結果となった。

厄年の厄払いはどこでしましたか?

 厄払いをした場所の主流は、近所の神社やお寺。神社とお寺の割合は、半々といったところ。 特にネームバリューにこだわらないというのが実情のようだ。
 中には、仲間4人と厄払いツアーを組んで、2泊3泊で、川崎大師、西新井大師、佐野厄除け大師の関東三大師をすべてまわったという強者もいた。

◎ 名著と歴史上の人物に見る厄年、厄払い

 文献上で確認される厄・厄年は、平安時代までさかのぼることができる。「源氏物語」には、藤壷と紫の上が当時の厄年といわれる37歳にあたり、厄払いをする様子が描かれている(ちなみに藤壷はこの年心労で亡くなる)。また平安時代の”スーパー権力者”藤原道真も、ことあるごとに厄払いをしていたという。
 江戸時代を開いた徳川家康も、厄払いを愛したひとり。彼がつくりあげた江戸の街自体が、厄が街に入るのを防ぐ構造になっているというのは、あまりに有名な話だ。

「Domani Sep/98 (小学館)」より一部転載
「小学館」のホームページ

―― 参考文献 ――
中岡俊哉著「厄年」(二見書房刊)
金子仁著「厄年の科学」(光文社刊)
「二見書房」のホームページ
「光文社」のホームページ


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